78号車 ミャンマー顛末記・23終 【ヤンゴン→バンコク→台北→帰国】

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    昨夜、宿に戻ってからエアコンの下で作業をしていたら鼻風邪をひいてしまい鼻水が止まらない。やってしまった。そうしたなかヤンゴンを発つことになった。



    ヤンゴンからバンコクへのフライトは朝8:30。空港には6:30までに入らなければならない。渋滞を予測して5時に起床し5時半にチェックアウト。タクシーにて空港に向かう。

    陽はまだ昇っていない彼は誰時の薄闇の中、急いで街に戻れば空港に向かう客をもう一組拾えるからだろうか、ラッシュ前の空いた道をタクシーは飛ばして走る。赤信号に当たると右折(海外では赤信号でも歩道側は曲がることが出来るルールのところが多い)してすぐさまUターンして青信号を右折するという芸当で交差点をクリアして進んでいく。

    タクシーは飛ばして走り続けたいのだろうが、とんでもないトラップが前から迫ってくるので、そうもいかない。客として乗っている自分も前方から目が離せない。

    ミャンマーでも朝のジョギングが流行っているようなのだが、そのジョガー達が道路の中央分離帯側の車道を対向するように走ってくるのだ。死に急ぐ人が多いのかと思ってしまうほどの危険行為が早朝の薄闇の中で繰り広げられているのだが、こうしたジョギングの仕方となった理由があるのだろう事を考え、自ずと納得する。














    空港に着いた頃に陽が昇り始めた。淡々とチェックインを済ませ朝食を摂ろうとレストランへ。昨日ヤンゴン駅で出会った台湾の女性を見かけたので声をかけ相席をする。バンコクからは夜の便でインドに飛ぶそうだ。どうして瞑想の旅をしているのかと尋ねると表情が曇ったのでそれ以上は聞かなかった。













    フライトは定刻。1時間半ほどでバンコクのドンムアン空港に戻ってきた。来た道を戻るように辿ってドンムアン駅へ。列車まで時間があるので駅構内の麺屋台でセンミー・ナムを食べる。食べ慣れた味にホッとしたのも束の間、口の中に違和感。何かと思って吐き出すと歯の詰め物。具として入っている揚げニンニクの粘着力に負けて取れてしまったようだ。帰り道でよかった。余談だが外れた詰め物を詰めなおしたのは3か月後。帰り道で良かったと安堵しつつも実際はこんなものである。












    ドンムアン駅11時半の列車でバンコクへ。間延びしたようなリズムで鈍行列車は走る。バンコクに着くといつにも増してホームが混雑していた。この頃は民主化を求めてバンコクが静かに燃えていた頃、クーデターにより軍事政権が樹立される少し前である。民主化集会に参加した人たちが帰る列車を待っているようだ。






















    そんな光景を後にMRTとBTSを乗り継いでサイアム駅へ。定宿となりつつあるムアンポンマンションではなく、趣向を変えて、通りを奥に進んだウエンディーハウスに荷を下ろす。シングルで1泊1100バーツ。この数年でじわりと上がってきている物価を実感する。























    ホテルのベットの枕元にタイらしく象さんの縫いぐるみが置かれていた。惜しむらくは茶色いタグがお尻から生えていてウ○コのように見えてしまう事だ。



    MBKことマーブンクロンセンターでEさんと合流してバンコクを案内して頂く。宿のそばのサパーン・フア・チャーンという水上バス乗り場からセーンセーブ運河を運行する水上バスに乗り込む。初めての水上バス。聞いては居たが水の臭いが濃厚だ。水上バスのすれ違いの際には前方から大きな波が来るので速度が落ちる。次いで波と共に水飛沫が飛んでくるので横幕を傍に立つ乗客皆で閉める。頭上高の低い橋梁の下を潜る時は、梯子組みになっている屋根を前方にスライドさせて低くしてクリアする。なにかのアトラクションのように乗務員と乗客が一体となって船は進み面白い。




















    終点のパンファー橋で下船。民主記念塔に続く道には屋根が組まれて集会の会場となっていた。周りには露店が立ち並び、集会参加者への炊き出し、飲料の配給などが行われていた。熱気のある集会というよりは和やかな祭りのような雰囲気。公道上に巨大な屋根や放送装置が組まれ、整然と平和的に会場が運営されている。日本で政権に反対するような集会が行われれば一目でそれと分かる課の人たちが周辺を取り巻いて権力の威圧感が見えて殺伐とするのだが、この開放的な状況に違和感を覚えた。結果としてクーデターが起きて軍部が政権を治める事となった事を見れば、どうしてこのように柔軟に民主化集会が出来ていたのかが今になって解かった気がする。国民の絶大な支持を得る王室の意向が背後にあったということであろう。同じ環境が今の日本にあれば、もう少し柔和な社会で生活できるような気がしてならない。

















    ついでカオサン通りへ。世界中の不良外国人が集まるとも言われる安宿街。ここも訪れるのは初めてだ。ファランと呼ばれる西洋人だらけ。なのでお馴染みのファストフード店ばかり。世界のどこにいようと食のスタイルを変えたくない文化の人たちが集まるとこうしたことになるという典型のようにも見える。こうしたエリアの宿は朝まで音楽をガンガン鳴らしているような飲み屋が周りに多くて眠れないので、現地の食と静かな眠りを得たいならば西洋人の集まる場所を避けるべきである事を、チェンマイ通いで実体験を通して石川さんから教わったものだ。







    そしてヤオワラート通り、ヤワラー地区と呼ばれるファランポーン駅近くの中華街へ。この辺りにある仏具街がテレビで見て気になっていたので向かう。店舗脇の路地に無造作に置かれた仏像たち。シュールな絵柄だが見たかったのはこれではない。







    そうして進むと発見した。



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    これだ!高僧の蝋人形。こんなのが自宅に居たらたまらない。







    佇まいがヤバ過ぎる…。店番の人かと思って声をかけてしまいそうだ。

    「あのおじいちゃん、どうして動かないの?」そうした子供の質問にはどう答えてみようかと夢が膨らむ。

    これほどの品揃えは望めないものの、タイ各地の仏具屋さんを覗けば居るかもしれないので、タイを旅行する際には探してみるのも一興です。



    暮れゆく街を歩いてファランポーン駅に向かい、いつも立ち寄る駅前の飯屋さんで夕食。BTSのシーロム駅でEさんと別れて宿に戻ったのでした。



    翌日は11時過ぎのフライト。宿を出てBTSに乗り、ルンピニー駅からエアポートレールリンクに乗り換えるが遅れているようで時刻がさっぱり掴めない。ノンストップの特急には乗れず各駅停車でスワンナプーム空港へ。台北へのフライトは機材の変更はあったものの定刻通り飛んで15時半過ぎに台北の桃園空港へ。








    24時間以内の乗継ならば入国税を徴収されない制度を利用して降機する。明日のフライトは14時半。23時間の台湾滞在。毎度のこととなった「ご飯を食べに立ち寄る」を実行したのだ。

    降り立った台北は曇り空。そして寒い。慌ててダウンジャケットを取り出して着込む。いくら日本よりも南にあるとはいえ12月。赤道に近い暑さみなぎるエリアから戻った身には風が冷たい。バスと台湾高鐵を乗り継いで台北へ。宿に荷を置いて師大夜市へ。












    北乃きいという女優さんが台湾が好きで「師大夜市」なる歌まで出していると知って興味を持ったので来てみたのだ。MRTの新店線の古亭駅で下車。台湾師範大学の正門前を横切った先の路地に展開する夜市。狭い路地に展開する夜市は平日とはいえ混雑していた。小さいながらも賑やかな夜市を買い食いしながら一巡りして、屋台で熱々の大腸麺線を啜ってから散歩をしながら宿に帰ってきた。



    宿はチェアマン・ホテル。久々のバスタブのある宿。鼻風邪をひいて体調が芳しくないために少し高めの宿をとったのでゆっくりと湯船につかり身体を温める。ベットに入るも何処かから隙間風が入り少し寒い。とにかく眠れば治るさと布団にもぐり、翌朝はやはり隙間風が寒いなと起床。ホテルのロビーにて朝食をすませて部屋に戻り、部屋の入り口脇の電灯のスイッチを入れると一つだけ何も反応しないスイッチがある。何だろうと入り切りを繰り返して音が鳴る事に気が付いた。どうやらエアコンのファンのスイッチである事が判明。昨夜来悩まされた隙間風は冷房だった事が判明した…。冬場に宿泊の際はドア脇のスイッチに注意されたい。
















    小雨の降る中、宿をあとにして古い街並みを楽しみながら徒歩にて台北駅へ。



















    台湾高鐵には乗らず在来線のPP式の自強号で桃園駅へ向かう。営業運行休止となった林口線の専用ホームは構内西側の北のはずれにそのままの状態で佇んでいた。転じて構内の東側には近郊区間のMRT化に向けた高架線用の橋脚の建設工事が進んでいた。











    桃園駅からバスにて空港に向かおうと思ったのだが、さきほど出たばかり。次のバスまで時間が空いてしまうのでタクシーにて空港に向かう。参考までに在来線の桃園駅から空港までのタクシー代は475NT💲でした。

    空港にて台北駅で買い込んでおいた駅弁にて昼食。












    台湾の駅弁はもう一つ食べたくなってしまう美味しさ。飛行機の機内食も駅弁にしてくれれば良いのにと思いながら帰路のフライト。
    隣席が空くように後部の座席をお願いして確保し、ゆったりとしていたのだが、自分の後ろの座席座る禿げあがった中年男性の挙動がおかしく、若干迷惑だなと感じていたのだが、飛行機は順調に飛び、いよいよ着陸態勢に入ったその時に珍事が発生した。
    着陸のアナウンスが流れベルトサインが点いてからトイレに立とうとし、CAさんが飛んで来て席に戻される。しばらくすると税関申告書を書こうとしてテーブルを開いてCAさんが飛んで来る。やっとおとなしくなって無事に着陸と思いきや、着陸の衝撃でその男性の持ち物が床にザザーッと流れて行き、CAさんを筆頭に一連の流れを見ていた周囲の人がゲンナリ。新手の裏面監査員でなければドリフのコントだ。初めて飛行機に乗ったのだとしてもアレは無い。状況判断力が著しく欠落している人なのだろうか?
    とにかく無事に着陸出来て何より。CAさんにお疲れさまでしたと声をかけて機を降り、帰国した。





    長々と書き続けたミャンマー顛末記もこれにて終了。交通機関に関する情報が少ない中での旅行でしたので計画が立てられず難儀しましたが、幹線には問題なく乗ってくる事ができました。全線走破を狙うには半月くらいの余裕が必要かと思います。泰緬鉄道の復活の兆しが見えてきたので、近くないだろう将来にはバンコクから直通列車でヤンゴンに向かうことが出来るようになるのでしょう。

    再び乗りに行く日が訪れるのかはわかりませんが、魅力の多いミャンマーの鉄道でした。






    77号車 ミャンマー顛末記・22 【貨物線、完全踏破ならず】

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      この調子で信号所での観察に夢中になっていると日が暮れてしまう。いや既に暮れだした。
      貨物線は今いる信号所で分岐して、ヤンゴン中央駅側で急に左に進路を変える。下の写真の一番左側の線路がその貨物線だ。追っていくと随分と急なRで曲がっていくのがわかるだろうか?

       

      跨線橋の真下、貨物線から本線に合流する手前に脱線転轍機があった。冒進してきた列車を壁側に脱線させるようになっている。転轍機の先に車止めを用いるタイプをよく見かけるが、コストの問題なのだろう珍しい形である。速度を乗せることが出来ない条件の線路からなので、脱線させても転覆の危険は少ないだろうから単純な構造なれど合理的なものだとも思う。
       

      跨線橋を後にして貨物線の分岐点へ。ここから川の方角に向けて進路を変える。日中にこの線路を走る貨物列車を見かけたので使われている線路なのだが、バラストが、ちょっとどうかと思うほどに適当に積まれている。よく見ると列車が踏み潰して走った形跡がある。日本であれば「異音感知」で列車を止めて点検するどころか、防護無線の自動発報装置が作動しかねない衝撃があるだろうレベルでレール上にまでバラストが乗っている。
       

       

       

      分岐してすぐにカーブをしながら川を渡る。この川と本線、貨物線に囲まれたデルタ地帯に小さな寺院らしき建物があり、貨物線は生活道路としても使われているようで子供たちの遊び場にもなっていた。線路に座っている人が普通にいる景色。日本ではありえない景色がうらやましくもある。
       

       

       







      線路は団地の中を抜けて大通りへ。本当にここを列車が走るのだろうかという、木々が生い茂り、脇に飲食店が建ち、寺院とその門前町といった、つげ義春の漫画の世界のような景色の中を進む。
      寺院の脇の道に出ようとしたら、道いっぱいに敷物が敷かれて歩くことが出来ない。祭壇も用意されている。どうやら今夜、何かしらの式典が開催されるようで、道路はその会場になっているようだ。ヤンゴン到着初日にも遭遇したのだが、このように道路を封鎖してお坊さんの説教を聞いている場面に遭遇する。法要なのかもしれないが仏教が人々の暮らしに密接に関わっているミャンマーならではの光景である。

       





      このあたりで日が暮れてしまい、貨物線はより鬱蒼とした森と雑草にまみれながら家々の間を進んでいくのだが、あまりにも街灯の少ないヤンゴンの街では夜目も効かないので、これ以上の探索は断念し、大通りなれど暗くて段差だらけの道を足元に注意しながら宿へと戻った。
       

       

       

      せっかくなので宿の目の前にあるスーレーパヤー寺院に立ち寄った。ここにもLED電飾きらびやかな仏像が居並び、ライトアップされて闇夜に金色に浮かび上がる寺院にて今回の旅の無事を感謝してミャンマー最後の夜を締めくくった。

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      年末恒例の海外鉄道乗車キロ数の報告を忘れていましたので、今回の冒頭で報告いたします。
      昨2014年度の海外鉄道乗車キロ数は以下の通りとなりました。

      2014年   1月  台  湾    728キロ
      2014年11月 ベトナム 1314キロ
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      2014年 計   2ヶ国     2042キロ

      諸般の事情により旅行に時間が取れなくなる前にと1月に台湾へサトウキビ列車を見に行き、ついでに1周。仕事が落ち着いたのでと11月にベトナムの未乗線区に乗りに行き、思いのほか乗る事が出来た1年でした。
      2015年はトランジットで立ち寄る国で、ちょっと乗ってくるところから始めます。

      76号車 ミャンマー顛末記・21 【ヤンゴン環状線・7  複雑な信号所】

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        本来であれば今回の更新は元旦だったのですが、お正月ぐらいはということで、誠に勝手ながらお休みを頂きました。本年も多分ズルズルとあてどもない事を書き綴って参ります。全くタイムリーではない旅行記として邁進してまいりますのでよろしくお願いいたします。

         PAZUNDAUNG 駅で下車。駅を出ていく181系を名残惜しい気持ちで見送る。早速対向の環状線の内回り列車が入ってきた。橋上駅舎があるものの、人々は各々の目的地に向かって線路を渡っていく。

         

         

         



        構内にてしばし列車の観察。島式ホームが2つ並んだ2面4線の構内。内側が環状線のホーム、外側がマンダレー方面のホーム。更に外側にホームの無い2線があり、こちらはマラゴン機関区への入出区線と思われる。運用に就いている車両を観察していると、長距離列車が比較的まともな貫通ドアをもった客車、環状線が改造客車、マンダレー本線を経て近郊の支線方面に向かう列車が先述したキハ52にトレーラーとして併結していたような手作り感あふれる客車のようだ。
         

         

         

        環状線の外回り列車と支線方面から上ってきた列車。ともにヤンゴン中央駅に向かう列車だけれども環状線の列車が先行して発車。支線方面から上ってきた列車はしばらく停車していた。けん引機関車は中国製。メーターゲージを採用する昆明あたりからやってきたのか、新製で発注したものかは解らないけれども、銘板を見る限りは中古車両が流れてきたものと推測される。
         

         

         



        目的の貨物線を目指して駅舎のある跨線橋から海側に降りる。すると足元に線路が埋もれていた。本線に対して直角に交わる跨線橋。その足元にある線路も本線に対して直角に敷かれている。この位置から本線まで10mほどしかない。然るにどんな曲線をもってしても本線に合流することはできない。はたしてこの線路は何の名残なのか?線路は道路の下に消え、道路向こうにはトタン塀で覆われた土地。
         

         

         

        謎を追うと深みにはまりそうなので、先を急ぐことにした。
        線路に沿って歩いていると道端に給水施設が多い事に気付く。形態は様々でウォーターサーバー用のボトルであったり水瓶とコップが置かれ、調べてみると道行く人の為に近隣住民が設置しているものだそうだ。寺院などにも同様のものが置かれており、仏教の教えからなるもののようだ。お腹に自信がある人は街歩きの際に水には困らないのでお試しいただきたい。また、立ち並ぶマンションのベランダから地平まで紐が垂れ下がっている事にも気付く。この紐が上層階の各家庭の呼び鈴のようだ。所変わればである。

         

         

         

        そうこうしているうちに跨線橋が現れた。階段の途中、線路沿いの塀を超える高さから線路内に降りることが出来る抜け道が作られているあたりが微笑ましい。見ていると線路内を生活道路として利用する近隣住民が頻繁に利用していた。
        跨線橋に上がると山側に信号所らしき建物があった。ここは
         PAZUNDAUNG 駅とヤンゴン中央駅の間にある信号所で、ヤンゴン中央駅のホームの振り分けと貨物線の分岐を司っているようだ。
         

         

         

        跨線橋の上から観察をしていると、とても複雑な振り分けをしていることがわかる。ヤンゴン中央駅にて列車に乗り込むとわかるのだが、ヤンゴン中央駅の母屋は環状線の一番内側にある。その母屋に面した線路と向かい側の島式ホームが長距離列車のホーム、一番外側の島式ホームに環状線の列車が発着する。 PAZUNDAUNG 駅はその逆だ。従って PAZUNDAUNG 駅とヤンゴン中央駅の間で転線が必要となる。

        この信号所で複線と複線をクロスさせているのだ。その様子を撮影してみたので映像で確認して頂きたい。奥に見える跨線橋が
         PAZUNDAUNG 駅、手前がヤンゴン中央駅側となる。
         







         
        環状線の列車はここで上記のように転線しているのだ。先ほど PAZUNDAUNG 駅で支線方面から上ってきた列車の停車が長かったのは、先行させた環状線の列車がこのクロスを渡り終えるのを待つ為の信号待ちだった事がわかる。

        ヤンゴン発マンダレー行の3UP列車がやってきた。長距離列車なので内側線を下ってきて転線のないまま真っ直ぐ進んでいく。優等列車だけに編成が統一されていて綺麗だ。

         







         
        観察を続けていると、列車が大きく揺れている事がわかる映像が撮れたのでご覧いただきたい。
         



        これらは線路に起因している揺れだろう。2本目の映像は環状線から本線側に向かうヤンゴン止まりの列車であろうか。違うパターンで信号所を過ぎていくのだが、こちらは客車が重すぎて機関車が空回りしているようにも見える。

        この信号所にいれば一日列車を眺めていても飽きないなぁと思ったのだが、それは今が過ごしやすい夕刻だから思うのであって、日中は暑くてダメだろう。夕暮れが迫ってきたので貨物線を追うためにいよいよ腰を上げることにした。

         

        75号車 ミャンマー顛末記・20 【ヤンゴン環状線・6  憧れのキハ181】

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          昼食を済ませて駅に戻るとキハ181系が停まっていた。特に予定は立てていなかったがなんとなく駅に行ったら停まっていたのだ。「乗れ」という事だと判断して乗ることが出来るか駅員に尋ねると、外回りのインセイン行として発車して、インセインから折り返して内回り列車になるとの事。早速切符を手に入れる。エアコン車なので料金が1ドル加算されて2ドル。いそいそと乗り込んで発車を待つ。
           

           



           
          低い唸りをあげながらゆっくりとした速度でヤンゴン中央駅を離れた列車はインセインに向かう。
          インセインでは駅本屋側のホームに入る。すぐさま折り返すというので次のチケットを買うために急いで駅長室へ。朝訪れた日本人がまたやってきたという顔の駅員さん。しかし手元には釣銭でもらった皺くちゃのドル札しかない。先述したが外国人の支払いはピン札のドルしか受け付けないルールになっている。困った駅員さんが提案してきたのは「ドル札は自分が何とかするからミャンマーチャットで払ってくれ」というものだった。そんなにフレキシブルに対応してくれるならば、外国人も端からチャット払いにしてくれても良いのにとも思うのだが、2度もやってきた日本人に対する特別サービスだと受け止め、ありがたく切符を売ってもらう。

          駅員さんと乗務員の連携により、切符を買いに走った自分の乗車を待って発車した「エアコン列車」ことキハ181系は内回り列車として動き出した。インセイン駅構内の機関区には日本から流れてきた気動車が沢山集っている。屋根をチョップされたDD51は何度見ても変だ。

           





          本日3度目の Kyee Myin Daing 駅。駅の構内で空を見上げている大人が沢山いるので、何を見ているのかと空を眺めると凧を揚げていた。なんとも長閑な風景だ。この辺りで凧揚げが出来るような広場が駅だったという事なのだろう。
           





          ヤンゴン駅の手前、アウンサンマーケットの裏手の Phaya Lan 駅にてしばしの停車。時刻は16時。ヤンゴン発の長距離列車の発車が遅れていて線路が空くのを待っているのだ。10分ほど停車してやっと進路が空いた。ヤンゴン中央駅構内に埋もれている転車台を発見。埋もれ具合からすると長らく使われていないようだ。
           
           

           



          ヤンゴン中央駅で5分ほど停車。発車すると MAHIWAGON 駅側のヤードから推進運転で出てきた客車列車とすれ違う。17時台の長距離列車の回送だ。写真を見て頂くと架道橋下のヘッドクリアランスがものすごく低い事がわかる。クリアランスを稼ぐために少し掘り下げているようだ。
           

           

           

           

          PAZUNDAUNG 駅との間にある、あの貨物線に入っていく貨物列車とすれ違った。これも呼ばれているのだと思い、貨物線を見に行く事に決めた。
           



          名残惜しいけれども PAZUNDAUNG 駅でキハ181系とはサヨナラした。
           

           

           

          74号車 ミャンマー顛末記・19 【ヤンゴン環状線・5  キハ52と手作り客車】

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            キハ181系とすれ違い、 TAMWE 駅、MYIT TA NYUNT 駅と停まる。沿線が住宅地となり市街地に入ったことがわかる。
             

             

             

            右にカーブした先でマンダレー本線と合流。この先はヤンゴン中央駅まで複々線となる。複々線で近郊区間で列車本数が多かろうが、普通に線路に座っている人がいるから侮れない。
             



             

             

             
            MAHIWAGON 駅に停まる。この駅の手前から左手に分岐した線路の先にヤードや機関区があるはずなのだが、車窓からは確認することが出来なかった。駅を出てしばらくするとヤードへの入出区線が左手から合流して複々々線、6線になった。

            次の PAZUNDAUNG 駅に停車中、隣のマンダレー本線上にキハ52が現れた。

             

            やはりよく見るとおかしい。車高を下げるためにボディーチョップをしているので車体がほぼ正方形だ。後ろにつないでいる車両にも違和感を感じたので注意して見ていたら、小学生がプラ版を切り出して作ったフリースタイルのNゲージ車両のような手作り感あふれる客車が付いていた。
             

             

            PAZUNDAUNG 駅を出た先で平面クロスでマンダレー本線と線路の位置が入れ替わる。ヤンゴン中央駅の母屋側にマンダレー本線の列車を据えるための線路構成なのだろうけれども、非常に効率の悪いことをしていると思う。マニア的には楽しいのだけれども。
            この平面クロスの先の左手辺りから、急曲線で左に折れていく線路が見えた。昨日踏査した貨物線の東側、現役で使われている部分の分岐点だ。どうかと思うほどに急なRで折れていく貨物線には後ほどやっぱり訪れることになる。

             

             

             

             

            なんやかんやで一周してヤンゴン中央駅に戻ってきた。9時47分に乗り込んで、インセイン駅で乗り継いで13時着。いやはや3時間かかった事になる。しかし十分に面白かった。1周乗っても1ドルなのでヤンゴンを訪れた際には観光がてら乗ってみる事をお勧めしたい。
             





             
            無事に一周を終えたら昼飯の時間だ。しかし食指が動く飯屋が見つからず。とりあえず店員さんと目の合った店に入ったら、人当たりの良い店員さんたちで会話が弾んで食後もなかなか店から出ることが出来なかった。
             

             

             

            とりあえずと駅に戻るとアイツが停まっていた。これは乗れという事だろう。なので乗ることにした。
             

            73号車 ミャンマー顛末記・18 【ヤンゴン環状線・4  物干し線路】

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              ベトナムに行ってきました。2年半がかり都合2回渡越延べ2週間の滞在でベトナム国鉄全線乗車を達成しました。ベトナムについてはミャンマー編が終わり次第書いていく予定です。

              ミンガラドン駅を出た列車は右に90度カーブをし南西に進路を変える。空港の滑走路の上辺を周り込み、滑走路に沿う形になる。滑走路上に離陸待ちの飛行機が見えてくると WAIBARGI 駅に到着。滑走路が真横にあり空港の玄関口にもってこいに見える駅だが、残念ながらこの駅があるのは滑走路の先端。空港のターミナルは2キロくらい先にある。滑走路に進路を譲って線路の付け替えをしたのであれば酷い仕打ちだ。
               

               

               

              駅を出るとすぐに左にカーブをして旧来のルートに戻る。車窓右手に現れるはずの旧線の路盤を探してみたが見つけられなかった。車窓にはミャンマー仕様のリアのバネレートを著しく上げた過積載対応のトラック。
               

               

              続いて OKKALAPA 駅。オッカラパと読むのであれば愉快な響きの駅だ。ちょうど対向列車が入ってきた。対向式のホームで上下の線間に横断抑止のフェンスがあって跨線橋があるものの、人々はフェンスの切れ間を渡っていく。列車がでるとホームで待っていた人達がぞろぞろと渡っていった。
               







               
              駅を出ると線間に布が敷かれている。これまでちょくちょく見かけて何だろうかと思っていたのだが、ハタと気が付いた。どうやらこれは洗濯物を干しているのだ。そういえば環状線を走る客車列車にはトイレが付いていない。なので汚物で洗濯物が汚れる心配は無い。故に洗濯物干すには都合がよいとして利用されているのだろう。しかして昨今は日本から来たトイレ付きのキハ181系がエアコン列車として走っている。観光客向けのクルーズトレイン?として環状線を快速運転で1周する運用があったりするのだ。以前の問題としてあまり状態のよろしくない路盤なので砂塵を濛々と巻き上げて走っていたりするので、物干し場として芳しくない気がするのだが、所変わればである。
               

               

              ここからしばらくは直線で南下していく。PAYWET SEIK KONE 駅、KYAUK YE TWIN 駅、TADARGALAY 駅と、列車は進んでゆく。
               

               

               

               

               

              車内にはモヒンガー屋さんが乗り込んできた。大きな盆に材料を載せ、抱えてきた風呂椅子に座って注文の品を作り始める。車両間が貫通していないので駅に着くたびに隣の車両に乗り移るのだろう。実に気長な商売である。車窓には水草びっしりの溜め池で釣りをする人々。そして釣った魚が干されている。ここは旧首都ヤンゴンの環状線。日本でいえば山手線か大阪環状線に相当する路線である。昔の日本にもこうした景色が広がっていたのかもしれないが、このノンビリとした空気はこのまま変わらないでいて欲しい。
               





              YEGU 駅、PARAMI 駅と過ぎ, KANBE 駅を出たところで砂塵を巻き上げながら対向列車がやってきた。この付近の線路は物干しには向いていない。
               









              次の BAUKH TAW 駅を出たところでキハ181系がやってきた。JR西日本からやってきた車両だ。建築限界の違い、ヘッドクリアランスが低いために日本からやってきた大ぶりな車両はボディーチョップ改造を受けて全高を下げているのだが、このキハ181系は大きな改造を受けずにいるようで原形を保ち、特徴である屋根上ラジエターの撤去程度で運用に就いている。エンジン全開で走れるような線路状況にない故にラジエターの撤去も問題は無いのだろう。しかしながら特急用車両である。車体は大ぶりなのだ。DD51もキャブ屋根が無残なチョップ改造を受けているのに、このキハ181系が原形を保っているのは何故なのだろうか?考えられるのは空気バネをパンクさせて車高を下げることだが、果たしてどのようにしているのか謎である。
               





              キハ181系は日本でも乗ったことがない。現役車両は日本にはいない。これは是非とも乗らねばならない。
               

              72号車 ミャンマー顛末記・17 【ヤンゴン環状線・3 魅惑の旧線築堤の先、ミンガラドンまで】

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                市場に占拠された DANYINGON 駅を発車した列車は北のバガン方面に向かう路線と別れて大きく右にカーブし東に進路をとる。環状線であるが故にここで向きを変えるのだ。
                 







                続いての駅は GOLF COURSE 駅。ゴルフコース駅とは解かりやすい安直な名前だ。地図を見るとこの駅の南にゴルフ場がある。地図だけで見るとゴルフ場は随分と南にあるのだが、航空写真で見ると駅の近くまでコースが広がっている。いや、ゴルフ場にしては広大すぎる。駅名にするくらいであるから、もしかすると2つのゴルフ場が隣接していて、駅に近いのは国営または国鉄経営のゴルフ場ではないかと勘繰ってみたりしている。
                ゴルフ場のレストハウスはさぞかし立派なのだろうけれども、駅は随分とくたびれた感じである。ゴルフをしに来る人が駅を利用することは無いように思えるが、たぶん間違いないだろう。跨線橋まであるけれども、人々は線路を横断するのだろうなぁ。


                 





                そして日本の鉄道関係者に見て頂きたい線路状態を激写してきたので参照されたい。「PC枕木を置きました。レール敷設しました。バラスト撒きました。以上、線路出来上がり!」といった具合の路盤である。これでも問題なく列車が走れるのだから逆に不思議だ。もしかすると「バラストを煎じて飲むと腰痛に効く」という迷信とかがあって、こぞってバラストを持ち去ってしまわれたのではないかというぐらいのバラストの無さだ。バラストどころか路盤の基礎からやり直す必要が感じられるのでミャンマーに商機はあるぞ!急げ!
                なぁんて、既に鉄道コンサルが調査を始めているので、ここに日本の中古電車が走る日がくるのも遠くはないかもしれない。

                 

                車内では DANYINGON 駅から乗り込んできた、仕入れ帰りと思われるマダム達が商品の仕込みを始めた。買い込んできた野菜の選別したり、不要な部分を摘み取って整えたりし、橋を渡るたびに摘み取ったものを川に投げ捨てるという作業を繰り返す。お陰さまで渡る川はヘドロで真っ黒、栄養価満点すぎる状態であった。
                 

                 

                溜め池の畔に佇む牛さんを横目に、カーブを曲がると KYAIKKALE 駅に到着。
                 



                KYAIKKALE駅を出て築堤上で右に大きくカーブする。南東に進路が変わるのだが、このカーブが終わり直線になるところで、更に内側にカーブし続ける築堤が分かれていく。
                 

                もしかして廃線・旧線の路盤ではなかろうか?そう思い地図で調べてみるとあながち間違いではないようだ。この築堤を追っていくとヤンゴン国際空港の滑走路にぶつかる。3つ先の駅を出たところで左にカーブするのだが、そこに築堤からの延長線がつながるのだ。空港の開設、または滑走路の延長に伴って線形改良されたことは間違いない。であるならば、ここを探れば廃線や旧駅があるはずだ。廃線マニアとしてはウズウズしてしまう案件だ。
                 

                ビデオも回していたので興味のある方は確認して頂きたい。0:23頃、前のデッキに居る人が線間に梯子状のものを投げ下ろした先に、右方向に分かれる路盤跡が現れる。
                路盤跡と分かれ、直線に入りしばらくすると MINGALARDONZAY 駅に到着。「ミンガラドン市場」と表記されてもいるので最寄りに市場があるのだろうけれども、市場の存在は感じられない長閑な駅だった。

                 

                 

                 



                続いて MINGALARDON 駅。ミンガラドンはヤンゴン管区の郡区名。このエリアにあるヤンゴン国際空港はミンガラドン空港とも呼ばれている。そんな郡区名を冠した駅なのでさぞかし立派なのかと思いきや、人の乗り降りも疎らな普通の駅だった。
                 

                 

                 
                予定通りであるならば、この記事がアップされた時刻にはベトナムに到着し、ハノイA駅の脇のホテルにチェックインしてまもないころだと思われます。2013年の夏にホーチミンからハノイまでの「統一鉄道」と途中で分かれる2つの支線に乗り、今回はハノイから北方面に延びる路線を乗りつぶしに来ているのです。これでベトナム国内の全線走破かというと、それがなかなかどうして…。ミャンマー編が終わり次第、ベトナム編を始めますのでお楽しみに!

                 

                71号車 ミャンマー顛末記・16 【ヤンゴン環状線・2 インセインから市場の中の駅へ】

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                  インセイン駅には車両基地があるので環状線の列車はここを始終着駅として運用されているようだ。
                  ホームといっても低いホームで、乗ってきた列車はホームの無い線路に到着したくらいだから、線路を横断して駅舎に向かうことが出来そうだけれども、母屋前の線間にフェンスがあるので(経験からすればフェンスの切れ間はあるはずだが)跨線橋を渡ってみる。とても頼りない造りの跨線橋はスリルがある。上空から構内が俯瞰できるので登ってみて正解だった。

                   



                   
                  大きな駅舎と広い車寄せをもつインセイン駅。
                  しかし駅前には車も人もいない。典型的な鉄道の為の駅だ。近隣に住む人も鉄道関係者ばかりである事が推測される。
                  駅舎にて改めて乗車券を購入する。やはり出札では対応できず、駅長事務室に招き入れられての発行となった。




                   
                  続いてインセイン始発の外回り列車に乗り込む。最後尾に連結された非貫通の客車に乗ってみた。側面に2か所のドアがあり、車内はプラ製のロングシート。綺麗とはいえない車内だが、居心地は良い。
                   

                   

                   

                  数人の乗客を乗せた列車はインセインをあとに北上する。途中駅で野菜など沢山の荷を抱えた人が乗り込んでくる。車窓は次第に郊外の様相に変わり、藁葺き屋根の小屋が草むらの中に点在している。随分と粗末なところに住んでいるのだなと思っていたが、よく見ると人家ではなく豚小屋のようだ。
                   

                   

                   

                  左方向に複線が分岐する構内に差し掛かる。DANYINGON 駅だ。
                  ヤンゴン中央駅を起点とする長距離列車は、しばらくヤンゴン環状線を走り、それぞれの方向に分岐してゆく。
                  北西の方向・バガン方面に向かう列車は、この
                  DANYINGON 駅で分岐するのだ。

                   

                   

                  ここも交通の要衝が故に市場が形成されている。というよりも構内が市場に占拠された状態だ。列車が駅の中心に進むにつれて車窓が凄いことになっていった。列車が停まると一挙に人が乗り込み満席状態に。とにかく活気のある駅で、環状線で一番乗降者数が多いと思われる。

                   





                   






                   

                   

                  再びヤンゴンを訪れることがあるのならば、DANYINGON 駅で途中下車をして構内に広がる市場を探検してみたい。


                  付記
                  先日、浜松町の増上寺で開催されたミャンマー祭に行ったところ、同行者が「BR」のロゴが入った、ビルマ国鉄時代のピンバッジを見つけてくれ手に入れました。ミャンマー滞在時には買い物などをほとんどしなかったので、こうして日本で彼の地の鉄道グッズが手に入るなんて不思議な気分です。
                  さて、次回更新日にはハノイ辺りで電車バカを展開している予定です。旅立つ前に原稿を仕上げられなければ更新が遅れますので、ハノイを満喫してやがる俺がうらやましかろう。ヒャッホー!

                  70号車 ミャンマー顛末記・15 【ヤンゴン環状線・1】

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                    東京には山手線という環状線、大阪には大阪環状線がある。
                    そして、ヤンゴンにも環状線が走っている。ならば乗らねばなるまい。

                     

                     
                    ヤンゴン中央駅。今回の旅の中で明るい時間に訪れたのは初めてだ。
                    切符を買おうと駅舎の窓口に向かうと、環状線の切符売り場はここではなく跨線橋を渡った環状線用のホーム上にあるというのでそちらに向かう。ヤンゴン中央駅は3面5線の構内配線。駅舎前に片面ホーム、向こうに島式ホームが2面ある。その先には屋根付きのヤードがあり客車区のようだ。
                    環状線は駅舎から一番遠い島式ホームに発着する。ホームの中間にダブルオーバークロスポイントがあって、一つのホームを2列車で使えるようにもなっている。プラットホームが低いから出来る配線で、日本のような高いホームではボデークリアランスの問題で無理だ。

                     



                    ホーム上の事務室にて切符を購入。カウンターがあるものの、パスポートを提示の上で手書き式となる外国人用キップの発行の為に事務室内での購入となる。外国人料金は隣の駅までだろうと、環状線を1周しようと均一の1USD。後に乗るエアコン付の列車の場合は2USD。既に述べたが、ピン札のUSDしか受け付けてくれないので用意が必要だ。

                    次に来る列車はインセイン駅止まりの列車なのでインセイン駅までの切符購入となる。ただし切符にはヤンゴンからヤンゴンと記入されている。もしかしたらこの切符1枚で1周できたのかもしれないが、列車の発車時刻が記されているのと職務柄の矜持で下車するたびに新たに切符を購入した。

                     

                    顔をタナカで真っ白に塗られた子供、いわゆる「スケキヨ」状態の幼児を初めて見かけて笑ってしまったが、この夜、暗闇の中から現れた「スケキヨ」に度肝を抜かれる事をまだ知らない。
                    ホーム上では写真を撮っている人が多い。鉄道の写真撮影は御法度だというのは、今は当てはまらない情勢なのだと判断して以降は自由に撮影した。(情勢によって変わる恐れがあるので自己責任で判断してください)
                    日本人と思わしき若い女性がipadで列車をバシバシ撮影していたので声をかけると、台湾の女性だった。宗教家のようで、ミャンマーには1ヶ月前から滞在していて、半月は寺で瞑想、残りの半月で観光をしてきたとの事。明朝の便でバンコクへ向かい、インド行きの便に乗り換えてブッダガヤに向かうとの事。明朝の便なら自分も乗るのでまた明日会うかもしれませんねと話をして別れた。

                     

                     





                    いよいよ乗り込む列車が到着。外回りのインセイン行。ダブルオーバークロスを渡り、ホームの前寄りに停車。雑多な客車の混成で、乗り込んだ車内はプラスチック製のクロスシートが並んでいた。

                    ゴロゴロと鈍重な音をさせながら列車が動き出す。車窓からヤードを見ると松浦鉄道の気動車が止まっているのが見えた。

                     





                    列車はアウンサンマーケットの裏手の Phaya Lan 駅を過ぎると切通の線路を右にカーブしながら少しずつ勾配を登っていく。Pyay Road 、Shan Road 、Ahlone Road 駅と止まり、昨日訪れた Pan Hlaing 駅に。草に埋もれた廃線が左手に沿って三線状態で進む。途中にはヘッドクリアランスが大丈夫なのかと思う跨線橋があった。
                    勾配が終わると広い構内の Kyee Myin Daing 駅に到着。昨日散策した廃貨物線はこの駅が起点のようだ。

                     





                    kyee Myin Daing 駅はとても騒々しかった。何事かと窓から外を見ると、片手にコインの入った缶を揺すって鳴らしながら車両の下を歩いている人が沢山居た。物乞いではなく近所で開催される祭りだかの喜捨を集めているようだ。
                     

                     

                    以降は、ほぼ直線の平坦な路線となる。車窓もいたって単調だ。
                     

                     

                     

                     



                    途中の Thamaine 駅はホーム上に露店が並び盛況を呈していた。地図で見るとヤンゴン川に架かる数少ない橋に近い駅なので、物流の要衝になっているのかもしれない。
                     

                     

                    左右に車両庫が見えてきた。よく見ると日本の中古気動車や北斗星用のDD51が居る。車両基地のある、この列車の終点インセイン駅に到着したのだ。
                     

                     



                    列車はホームの無い線路に停車。すぐに機関車を切り離すと機廻しが始まった。機関車の付け替えが容易な線路が、このホームの無い線路だったのだと推測される。むむう。
                     

                    69号車 ミャンマー顛末記・14 【ヤンゴン廃線探訪・2】

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                      煉瓦造りの洋館は貨物駅だった。
                       

                       

                       
                      再び線路のある路上に出て、線路を辿ると貨物駅のホームが現れた。立派な頭端式の屋根付きホームだ。使われなくなって久しいようで老朽化はしているが、誰かが掃除をしているのだろう、構内は綺麗で整然としている。進出側には信号所らしき建物と給水塔がある。いつか来るであろう列車を待ち続けている。そんな雰囲気が漂っている。
                       

                       


                       
                      貨物駅を後にし、北に進路を変えた線路を辿る。そのうち線路は道路との併用から分かれ道路脇の草むらに埋没を始めた。そうして埋没した線路を追っていると、線路とは離れた道路の真ん中、中央分離帯にデッキガーターが現れた。どうやら後から造られたと思わしき道路の敷設に伴い、線路を移設した際にガーター橋だけが残されたようだ。
                       

                       

                      取り残されたガーター橋から少し進むと、再び分岐器が現れた。道路に沿って北上する線路と、道路を横断する線路に分かれており、道路を横断する線路は中央分離帯の先で途切れていたが、その向こうに廃線が埋れていると思しき緑地がある。本線との位置関係からこちらが追うべき線路だと推測し道路を横断する。
                       





                      ここまででわかったことは、あの貨物駅や追い続けてきた線路は東側でしか本線とは接続されていないだろうという事だ。しかし、状態から察するに東側でも接続されているのかは疑わしい。

                      途切れた線路の延長線上の緑地、または野放図に木が生い茂った藪には近隣の民家などが庭として占有し雑多なものが転がり踏査できる状況ではないので、建ち並ぶ民家を挟んで並走する道路を歩く。途中、線路と交差する路地を見つけるたびにそちらに行き、死に体の踏切たちを確認する。

                       





                      途中の食堂で昼食を摂り、再び歩いて行くと市街中心部に近づくにつれて街並みが猥雑になっていく。そのうち線路は人々の生活道路となり、道路との踏切が現れた。
                       



                      踏切の先は再び藪となり、踏査できる状態ではなくなったので、頭の中で線路の位置を予測しながら並走する道路を進む。途中で線路方向に向かう路地を見つけたので進んで行くと、線路が道路をオーバークロスするガーター橋を発見した。
                       







                      橋の銘板には製造諸元が記されており、1906年製造のものだとわかる。
                      ガーター橋の橋台の脇から線路に上がる小道を登り、築堤の上に出た。見慣れない外国人が廃線に入ってきたものだから、そこに居たおじいさんに捕まって質問攻めに遭う。年齢は?結婚は?等々。ひとくさり情報を聞き出すとニコニコしながら去って行った。

                       





                      いつから使われなくなったものかは不明だが、レールは残っており生活道路として使われているようで路盤は踏み固められていた。人が昼寝をしていたり、子供達が遊んでいたりする築堤を進んでいくと、右側から列車の警笛が聞こえてきた。築堤に生い茂る樹々の間から、環状線を走る客車の姿が見えた。本線との合流地点が近いことがわかる。
                      歩き進めると Pann Hiaing(パン・ハリング)駅の脇に出た。人々の駅への近道としてこの廃線は使われているようだ。

                       





                      立ち木に直貼りしてある時刻表を見ると、列車はしばらく来ないようなので駅を後にする。貨物線・廃線の追跡はここまで。線路は本線と並走して次の Kyee Myin Daing 駅まで続いているようだ。駅の脇から先は水溜りに沈んでしまっている状態だけれども、そこにレールがあるのは確認が出来た。

                      駅前でタクシーを拾ってシュエダゴォン・パヤーに向かう。ミャンマー国内で一番の寺院、ミャンマー人なら誰しも訪れたいという寺院だという事なので行ってみることにした。

                       



                      到着して写真を撮っていると門の右脇の建物の中から女性が呼んでいる。外国人は別料金なのでコッチに来いと呼ばれたようだ。拝観料を払うと胸に支払い済みのシールを貼られ、靴を預けて参道に向かう。自分が四方のどこから入場したか忘れると靴を探して彷徨う事になるので注意されたい。いざ境内に向けて参道を進むとエスカレーターが現れる。裸足でエスカレーターに乗るのはちょっと勇気がいるものだ。

                      境内に入り仏塔を写真に撮ろうにも、金色が強すぎて露出が合わず上手く撮れない。

                       

                       



                      なので絵画モードで撮ってみたら面白い写真になった。
                       

                       

                       

                      境内はなかなかの広さでマップを見ると52か所もの何かしらがある。熱心な仏教徒でもなくチンプンカンプンなので、アトラクション施設だと思って見て回る。
                       

                       



                      そうして巡っていると、北側の建物の中で女性たちが念仏歌?の合唱が行われていて、その歌声に何だか知らぬがわけもなく泣けてきた。



                      なんだか混乱をしてきたのでシュエダゴォン・パヤーから脱出することにし、タクシーにてボージョーアウンサン・マーケットに向かった。タクシーの運転手に「チャイニーズか?」と尋ねられたので「ジャパニーズです。顔を見ただけじゃ、日本か中国か台湾か韓国か解らないでしょ?」と返すと、そうなんだよとの返答。日本に観光で来たことがあるそうで、日本のことを色々知っている人だったので道中の会話が途切れなかった。

                      マーケットに到着するも、「自称日本語勉強中の学生と称するガイド」さんが次々と現れて客引きをするので辟易してしまい、特に何もなさそうなので裏手の跨線橋にてヤンゴン駅に発着する列車を観察することにした。

                       

                       

                       

                      ひとくさり列車を見て宿に戻る。夕食はヤンゴン到着初日の夜に食べた「カウソエ」の店へ。あのダメな感じのパスタのような食感に病みつきなのだ。
                       

                      カウソエだけでは足りず、モヒンガーも注文すると「よく喰うな」と笑われるも「旨いんだから仕方ない」と言うと店主は喜んでいた。

                      この日は歩き疲れたのもあってか、いつにも増して眠い。以前にも書いたが、海外に居ると1日が子供の頃のように長く感じられ、とても眠くなる。見慣れない景色の中にいるので、海馬が活発に動くが故に時間の流れが遅くなり、記憶の書き換え量が大きくなるので眠くなるのだろう。

                      帰国の途につくまであと2日。明日はヤンゴン環状線に乗りに行くと決めて早々に床に就いた。

                       

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                      齋藤彦四郎
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                      電車で喰えているので、電車マニアではありますん。

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